S藤家 母 Ku- の「ありのまま日記」

不登校。摂食障害。うつ病。統合失調症。様々な問題が起きてきたS藤家。母の私が今ここで感じていることを自分の言葉で表現します。

今この瞬間を生きる

あのときこうしていればよかったと後悔することはよくある。

でも
一瞬一瞬精いっぱいに生きているという自覚があるときは後悔はしないし
これからどうなっていくのかという未来への心配もない。

今日もよく生きた。

明日も一瞬一瞬を大切に味わっていこう。

楽しいことも
うれしいことも
悔しいことも
悲しいことも
すべて今の自分にとって
必要で大切な一瞬だ。

今日もありがとうございました。

私は自分がない

こんばんは。

S藤家の母、「Ku-」です。

 

先月参加したオンラインセミナーで「境界線(バウンダリー)」を学んで

私は自分がないんだと気づいた。

そうしたら私は何者なんだ?

今まで誰の人生を生きてきたのか?

わからない。

自分が何者なのか

わからない。

 

私はいつも周りの人の評価が気になっていた。

誰かが「いいね」といったものは正しい。

誰かが「違うんじゃない?」といったものは間違い。

そうやって相手の反応を見ていいか悪いか判断して生きてきた。

その「誰か」の大半は私の母親のことだ。

私は母親の判断基準で物事を考えていた。

 

結婚する時、父親からこう言われた。

「困ったことがあったら、自分のお母さんだったらどう行動するかを想像して考えて行動すれば間違いないからな。」と。

その時は そうなんだ と思っていたけど

今の私からすると呪いのような言葉だ。

 

私は自分の母親ができることは私もできると思っていた。

でも母のような人間にはなれなかった。

だから私はダメな人間なんだと思い込んでいた。

いい。悪い。

その判断は自分の中にいる「母」がジャッジしている。

そっか。

私は自分の母親と同じになるために生きてきたんだ。

それが共依存ってこういうことなのか。

 

母親が正しいと思っていることと私が正しいと思っていることとは違う。

母親がいいなと思っていることと私がいいなと思っていることとは違う。

母親が間違っていると思っていることと私が間違っていることとは違う。

母親と私は親子だけど、考え方も感じ方も違う。

私は母親と同じではない。

私は私なんだ。

私は母親のように器用ではないし母親のように料理上手ではない。

不器用で何もできないのが私だ。

私はあなた(母親)とは違う人格なんだ

 

私はもう誰かの言葉や、誰かの行動やしぐさに反応して

好かれるように演じてきた自分をやめよう。

今の自分がバカバカしいわ。

そう思ったら

人から嫌われてもいいや。

とも思えた。

あと残りの人生は

情けないこの自分をブログにさらけ出して

自分の言葉で今を伝えていこう。

文章がおかしくても

支離滅裂なことを言っていても

それが今の自分の言葉だ。

自分が感じているありのままを

このブログで表現していこう。

そう決めた。

怖いことをやってみる

今日。ボランティア団体さんの呼びかけで募金活動をした。

自分たちで初めてやったのでどうなることかと思ったけれど
思ったより緊張しなかったし、一緒にやってくれる仲間がいたので心強かった。

人前で話をするのが苦手なのになぜか力が湧いてくる。

声があまり出ていなくても関係ない。相手にどう伝わるかが大事だと思っている。

これは1年前から自分がやりたいことだった。

誰でも選択の力がある。その言葉に勇気が出た。もしかしたら私は今感じている感覚がそうなのかもしれない。とりあえずやってみる。やってみて違うと思えば違っていたんだと。そうだったんだと。そう思うだけでいい。

失敗してもいい。とにかくやってみる。怖いけどやってみる。

とにかく何かを始めてみる。

今日気になってみたYouTubeの動画で「だったら私はどうしたいのか?」「考えすぎずにとにかくやってみる」「try&error」という言葉がずっと自分の中に残ってて。仕上げに旦那からの「失敗してもいいからブログ始めてみたら?」の言葉。

「これはやるしかない!」と思いたちまして今初ブログを書いています。

 とにかく始めてみます。怖いけど間違っても勇気を出して続けます。